Immoral Education

倒錯した教育感に基づく、不道徳な教育実践。絶望発、不安経由、皮肉行き。

古典を燃やそう-底本の探し方-

 

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センター試験が終わりました。結果は如何だったでしょうか。この日のために学んだことを発揮できたでしょうか。あなたはどんな教科を受験したのでしょうか。進路によって、取捨選択が必要だったでしょう。センター利用の場合、おそらく国語は必須だったのではないでしょうか。

そんな、医学部志望の、もしくは医学系志望のあなたは思ったわけだ。なんで「国語なんか、いや、現代文はまだしも、なぜ古典なんか勉強しなければならないんだ!」

 

国語が得意なあなたも、今一度考えてほしい。ツイッターでも昨今「#古典は本当に必要なのか - Twitter Search」なんてタグで、インテリどもが様々な持論を戦わせ、炎上騒ぎにもなっているところだ。

 

さて、「そもそも」と考えたあなたは、ふと思ったはずだ。「なぜ古典なんか、勉強しなければいけないんだ」。まず一つ、答えをあげよう。それは「センター試験で(そして共通テストになっても)問われるから」だ。

 

さぁ!君はこの「古典」に憎しみが湧いてきた筈だ!大人はいつも君たちに押し付ける!そうだ!何が炎上だ!SNSで騒がれようが、汚い大人どもが侃々諤々の議論を続けようが、「古典」は揺るがない!どうする?!そうだ。



「古典」を燃やそう。

 

古典を燃やす方法。

 

「古典」を燃やす、とはどういうことか。古典にはすべて、底本がある。底本とは、活字になる前の本、又は巻物自体のことだ。

君たちが読んでいるであろう古典テクストも、なにも最初から活字やデータで残っているわけではない。元々はその多くが墨と筆によって書かれた巻物や和書が底本であろう。(逆に漢籍はその多くが木版印刷されていた。ひらがなは続け字で、木版印刷に適さなかった)

活字活字と言っているが、つまり印刷された文字を活字という。すなわち、活字以前はすべて、手書きによる写本である。千年前以上昔に著されたテクストの多くが、様々な手によって書き写されて現代まで残っているわけである。

どこまでも手間のかかることをしてくれたおかげで、君たちは古典テクストを読まされているわけだ。

 

例えば、『源氏物語』には、紫式部直筆の原典は残っていない(のか、発見されていないのか)。いうなれば女手の物語などというものは、サブカルチャーであり、公的に残される必要性のようなものがなかったためであろう。

また、平安時代に書かれた写本の多くは、かの応仁の乱によって焼失、紛失されたと言われている。

それでも数多くの写本が残っており、現代では藤原定家による写本を元とする「青表紙系」、源光行・親行父子による「河内本系」など、そりゃもう数多く、孫の孫の・・・が存在している。ここらへんが気になるならぜひ「文献学」の方へ。手に負えない、という意味でも、あそこはあそこで、沼だ。

 

何百年も保管され、防火対策もされていないであろう、当時の紙質を考えると、それはそれはよく燃えるだろう。

想像しただけで、にやけてしまう光景だが、妄想だけならオナニーと変わらない。まずはそうだ!底本を探すんだ!

燃料 ていほん を探す方法。

 

一番便利な方法は、こちら「国文学研究資料館 日本古典籍総合目録データベース」を利用するだけだ。

サイトに飛ぶと、まずはこんな場面。

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そして左下の検索ページをポチ。

すると、こんな画面。

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さあて、敵はどこにあるのか、見つけ出してやろうぜ。

まずは「古典」の代表格『源氏物語』ぐらいから始めてみよう。

書名「源氏物語」、筆者名「紫式部」とバカ正直に入力してヒットしたのがこちら。

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右下に不穏な文字が見えるが、とりあえずこれを無視して、下の方にスクロールすると、こんな画面。

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さぁ!現れた。これは一覧でわかりにくいが、黄色でマークしているのが、所蔵場所を示している。これらは略字だが、もちろん別のページに所蔵者の正式名称が乗っている。ほとんどが大学の名前だが、例えば「東博」とはなにかというと、「東京国立博物館」のことだ。

 

ちなみに「InfoLib-DBR(Login)」(欧州所在日本古書総合目録データベース)で調べると、こんな感じ。

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世界中に散らばってやがるが、大丈夫。センター試験を乗り切って、大学二次まで行くであろう君の力があれば、不可能なんてないさ! 

見つけたあなたがすることは一つ

さて、これで底本の居場所がわかるはずだ。「千年以上も前から存在している」なんて言われても、ピンときていない、あなた。教科書の前に、なんとなく並べられる古典テクストも、実は、あなたの家の近くにある大学や図書館に、実物が間違いなく存在しているんだ

源氏物語』はフィクションだが、その写本とはいえ、手から手へと、子から孫へと何代も何代も経て、やっと活字になった、その底本は人間の情熱によって、悠久の時を越えて、伝えられた確固たるノンフィクションとして、間違いなく存在しているのだ。

 

さ、燃やしに行こう。