性について語らずにはいられない。(第一回)
「ヤクザにな、ヤクザに借りたとぞ!」
親父の目は、釣り上がっていて、両目の外側にスラッシュのような皺ができていた。親父は怒ると急に、二重とでもいうのか、なんとなくシュッとした顔になる。実は僕もそれができる。怒った顔は遺伝だ。
中学生の頃、僕は初めてAVを観た。洋物だ。ビデオテープには、大きな男のアレと、なんだかすごく気持ちの悪いグニュグニュしたものが映っていた。モザイクは掛かっていなかった。
僕はその当時、子供の作り方を知らなかった。本当に、「なんらかの絆がある男女がチューすると子供ができる」と思っていた。でもそうではなくて、どこまでもグロテスクで、動物のような、滑稽な音がリズミカルに響く行為によってできると知った時の衝撃ときたら、先生にだって「知ってた?!」と聞きたいくらいだった。先生は知ってた。
そのAVの出所は、親父のタンスだった。ツンと防虫剤の匂いがする大きな洋ダンスは、クレーンを使って二階の親父の部屋に入れた。
昔はよくそこに隠れた。
引き出しを探ると、服に隠れたその奥に、題名も何もないビデオテープが眠っていた。その頃には、AVなるものを男は持っているもので、男である親父も持っているはずだとあたりをつけていたのだ。どうやら大人も隠れんぼの思考はそんなに変わらないらしい。
案の定、見つけた。そして観た。驚いた。とてもじゃないが、観ながらシコシコできるような気分ではなかった。ビデオテープを取り出し、真っ白なケースに入れて、服のシワまで最初と同じように手入れをして、そっと引き出しを閉じた。
初めて尿以外で股間を濡らしたのは、おそらく小学生の頃だ。
団地住まいだった僕は、日々友達と駆け回り、飛び回り、冒険と称して大きな溝を伝って、色んな場所に行った。
「道路を渡ってはいけない」というのは、その頃の常識だった。だから僕たちは、道路の下に埋め込まれた、大きな溝を通って、隣の団地に遊びに行っていた。
鉄の網目状の蓋の上を、大きな車がそれなりのスピードで走っていく。指を出せば、すぐぺちゃんこになっただろう。ギンギンとなる鉄の音と、響いて怪獣の咆哮のように聞こえるエンジン音を聞きながら這っていくと、隣の団地だ。「道路渡るべからず」と言われた僕たちは、「道路くぐるべからず」とは言われていなかった。一休さんだって同じことをしたはずだ。
隣の団地には、景観のためか、そこら中に低木の植木があった。椿だったか、赤い花ビラと黄色いしべを持った花だった。茂みはいたるところにあり、その茂みの影は隠れん坊にはぴったりだったが、少し陳腐でもあった。
その日も隠れん坊を始めた僕たちは、蜘蛛の子を散らすように、もしくはポップコーンのように方々に散り散りになった。ビニールシートを被せられた、駐輪場の大きなバイクの中に潜り込むもの、数を数えている鬼が立っているベンチの下に隠れるもの。僕はいくつかの候補が先に使われているのに落胆したあと、あえて最近ではもう簡単過ぎて誰も隠れなくなった椿の茂みに隠れた。
アパートの、コンクリートの壁の足元を隠すように茂る椿の影に隠れた。コンクリートの壁はなんであんなに冷たいんだろう。雨が降ったのはもう何日も前なのに、冷たく湿った空気が、あの日以来避難していたのかと思うほどに停滞していた。
するとなんだか、濡れた犬のような匂いがした。周りを見渡すと、ジャンプ状の冊子がある。濡れている。ページはほぼくっついている。なんだかそこに、この影でしか存在できないような、ナニカを感じたのかもしれない。
粘土のようになった冊子を、丁寧に開くと、そこには、漫画があった。主人公は僕と同じくらいの男の子。今日は両親が不在らしく、親戚のお姉さんがお世話をしに来るとのこと。そのお姉さんは綺麗だった。黒髪の、綺麗なお姉さんだった。そして目を見張るほどに大きな胸。
ジュクっとした地面に膝をつけることなんて、もはや気にはならない。冷たさを具現化したような匂いが、ほんのりと温かいカビ臭さと、椿の甘臭い匂いに、僕の体温が乗り移ったような、そんな匂いに変わっている。
「一緒に入ろっか。身体洗ってあげるね」
まだ子供だと舐めているお姉さんがお風呂場に入ってくる。身体を洗っていたタオルで前を隠す。なんでだろう、でも、あ、おっきくなってる!というお姉さん。なんだか僕も大きくなっている。お姉さんは、長い髪をまとめて、上でボンボンを作るような髪型に変わっている。タオルを脇に置いたお姉さんは、胸で男の子の背中を、手で前を洗い始めた。
「あっちゃぁ、出ちゃった?」
何が出たのだろう、おしっこを漏らしてしまったと泣き出す男の子に、違うんだよと諭すお姉さん。漫画の話が、フィクションなのはわかっていた僕でも、すごく不思議だった。なんだか触ると気持ちいいのか、いや、わからない、それが気持ちいいのかはわからないけど、なんだかやめられない。グリグリと触っていると、なんだかそれ以上はできないような、なにかの達成感を得た僕の手は湿っていて、ズボンには大きなシミができていた。
なんだかそれ以降は見なくてもいい気がした。
僕がお母さんにおしっこ(ではないとは「お姉さん」が言っていたけど、確信はなかった)を漏らしたことを報告し、お風呂に入った。母はカンカンに怒っていた。「千本角のお母さん」という作文で、コンクールに入賞したことがある。その時もちょうどそんな感じだった。
隠れん坊の鬼はというと、その間もずっと僕を探していたらしい。「隠れん坊が上手すぎる」と評判になった。
二次元の衝撃と比べれば、あの外人のグリテスクな様相は、さすが三次元というだけがあったということを中学の友達に話した。僕が通った中学校は男子校だった。ミッションスクールであり、神学生も通っていた。そのうちの一人が、そのビデオを売ってくれと打診してきた。
「一本3000円。どがん?」
「しょんなかな。一本だけぞ」
「だけ」も何も、一本しか知らないのだ。その当時、僕は友達と一緒に学校帰りにゲーセンによるのが通例となっていた。UFOキャッチャーにハマっていて、僕の当時のカバンは「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」のキャラクターで埋め尽くされていた。そのための原資は、お小遣いでは足りないので、大富豪で勝つか、お昼ご飯を「ナタデココ」で我慢してやりくりするか、そんなもんだった。
僕は盗品を転売することにした。
事は滞りなく進んだ。僕は3000円が儲かり、友達は性欲を擬似的にでも満たし、家にはAVなどという穢らわしいものがなくなる。一石三鳥というものだと思っていたが、ことはそう甘くはなかった。
ある夜、父が怒鳴りこんで来た。
「お前、ビデオどげんしたとや」
「ビデオ?なんそい?」
「とぼくんな、ボケが。あったやろ、ビデオ」
「知らんて」
「嘘ばつくな、バカたれが!!!」
父から殴られたのは、多分その時が初めてだった。二回目があったはずだけど忘れた。殴るのは母の役目だった。
「あんビデオはな!ヤクザにな!借りとっとぞ!!返さんかったらな、なんばされっかわからんとぞ!!!!」
「お父さん!もう、年頃たい!!落ち着かんね!」
見兼ねた母が父を止めた。僕は多分放心していた。
そして多分、僕の一生を変な方向に変えた一言を、父は言い放った。
「絶対に、あげんこと、すんなよ!!!」
するなと言われると、したくなる、そう、多分、僕はこれから長い長い反抗期に入っていく。
(続く)